家族のおへそ代表、今西ゆかりさんが主催する「内覧お茶会」に参加してきました。
「部屋の乱れは、心の乱れ」なんて言いますよね。
仏教においても、一に読経、二に掃除、三に座禅、と言われるくらい生活環境を整えることが大事とされています。
妙に、こういったコトバが気になる私は、「部屋を綺麗にしなきゃ心が乱れる」と言う思い込みがありました。
そうかと言って、ホテルのように片付けると、なんだか殺風景で居心地が悪い。
いや、悪いとまでは言わないけど、居心地がいいとは言えない。
そんな迷宮入りしそうな、漠然とした悩みを解消したくて、伺ってきました。
たくさんの「気づき」を持ち帰ることができた、有意義な一日になりました。
モノを大事にすることは、自分を大事にすること。
お宅の玄関から、真っ先に感じたものは、「アート」。
ネットで見るきちんと整理された、生活感を感じない家ではなくて(それを見て憧れていたはずなんやけど)
めちゃくちゃ生活感を感じるんやけど、どことなくおしゃれを感じる家。(生活感を感じない家を目指していたのに)
だからといって、高級なものに囲まれているわけでもない。(安いものは飽きるから、ある程度高いものでないといけないと思っていたのに)
実は、お宅にある物のほとんどが、骨董市で買ったものや、ひらってきたものだそう。
つまり、今西さんは、「欲しいモノ」「好きなモノ」が、しっかりあって、大切にされているからアートな感じがするのかな?
ん?私の「好きなモノ」て、なんだろう?と、言う気持ちが湧いてきた。
あれ、私には、大事にしたいモノがないってことなのか?
身体のことを扱っている、私の頭に浮かんだ言葉は、「自分を大事にしていないのか?」
大事にしたいモノ、大事にしたいコトを、表現できていないのかな?
そういえば、「カエル」が大好きな先生がいて、街中に「カエルのモノ」を見ると、その先生を思い出して、
「いいな、好きなものがあって」と、思ったのを思いだした。
私にも、同じように好きなものが欲しいな、あれば、いいネタになるのにな。(私は、この先生のように思い出してもらいたいのか?)
けど、そんなすぐに、好きなモノに会えるほど、簡単にはいかないのが、わたし。
好きなモノには、いまだに、出会っていない。
私は、大事にしたいモノ、大事にしたいコトを、表現できていないのかな?
大事にしたいモノがありすぎるのか?これだけは、譲れないというモノがないのか?
美味しいレモンケーキとお茶をいただきながら、そんな気持ちを打ち明けた。(なんでも話せる雰囲気)
正直に生きること。
今西さんのお話の中で、一番印象に残ったのは、「片づけをしている自分の家庭が整っていない」ということだった。
片付けを手放そうとまで悩んだ、自分の家族が整っていないのに、片付けを言う資格がない、とまで思ったそうだ。
何もできなくなって、寝込んで、やりたいことが見いだせなくなって、落ちるとこまで落ちて、
今西さんが言われたことが「正直に生きること」だったという。
こういう片づけをしないといけない、例えば、見えない収納とか、真っ白に統一するとか、世の中が求めている片づけを追及し過ぎていたんだと話す。
片付けの人は、こうでないといけないで生きるうちに、苦しくなっていたんだろう。
私は、今西さんの話に、共感することばかりだった。
幸せになりたい人は、会いに行ってみて。
内覧お茶会に、参加できてよかった、たくさんの気づきを、頂いたからだ。
お宅を拝見しながら、片付けのヒントやアイデアは、もちろんのこと、自分コトを大事できているのか、どこの誰が言ったかわからないことに振り回されていないか、ということに気づいた。
人には、絶妙なタイミングで、必要な時に必要なことが起きるというが、まさに、今回の内覧お茶会がそうだった。
お茶会から帰ると、以前までの思い込みはなくなり、
生活感が溢れていてもいい、生理整頓されてなくても、自分にとって使いやすい、動きやすい、居心地のいい家にしようと思った。
正解も不正解もない、自分が感じるいい心地の良さを感じたい。それが、わたしの片付けでいい。そう、思った。
そして、決めた。来年は、自分の好きなモノ、大事にしたいモノと出会うと決めた。
自分の好きなコトが何かわからない、漠然と不安でモヤモヤしている、幸せになりたいと悩んでいる人がいたら、今西さん会いに行くことをおススメしたい。
自分のど真ん中を、考えさせられるというか、見つけることができるはずだから。
まさに、自分のど真ん中を見つけることができる「家族のおへそ」だと、思う。
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