「目覚まし時計が鳴っても起きれない」
「起き上がってもしばらくじっとしている」
「立ちくらみをする」
「カフェインがないと頑張れない」
「不安感・焦燥感を感じてしまう」
このような症状を感じるママは多くなっています。実は、私にもすべての症状があてはまります。これらは、性格ではなく症状なのです。
医師小池雅美先生による血液データ深読み会
血液検査結果で異常がなかったら「健康」
ホントにそうでしょうか?上がった数値を下げれば、それで健康…なんか、違いますよね。
栄養療法では、血液検査データの読み方は、病院で説明されるものとはかなりの違いがあります。
栄養素の過不足はもちろん、食生活や生活習慣、思考の傾向、口癖、部屋の状態、服の好み、お付き合いしている方など人間ドックでは絶対分からないような事が深読み術でわかります。
現在、私は、その栄養療法の世界では、雲の上の人とも言われる小池雅美先生の「超食育セラピー」を受講しています。
ホントに小池先生は天才的。
小池先生は、血液検査データから、お母さんとの関係性や思考の癖を読み取り、その思考は、幼少期の身体つくりからできていることを教える。
ズバリと確信とついていき「それは、性格ではなくただの症状」「症状を治せば、変わることはできるよ」「辛かったよね」の言葉に、検査データ提供者の女性は号泣されました。
やりたくないことをやると病気になる
やりたいくないことをやると、身体は病気をつくる可能性があります。
なぜかというと、やりたくないけれどやると言うのは「義務感」から来るものであって、脳で考えてやっているだけで、本来の自分ではないからです。
そのまま、義務感で偽りの自分を演じてしまうと、身体の方は、「本来の自分はやりたくない」という気持ちの方に、忠実に従おうとするのです。
脳は理由がないとこをやるのは嫌ですから、「何のためにそれが必要なのですか?」と必ず理由を聞いてくるのです。それに対して、答えがなければ、身体は脳の暴走に「ストップ」をかけてきます。
それは、誰が決めたの?「欲求」「義務」
欲求は、自分がやりたいからやるんだという前提があり、全て自分で決めています。
すると「よし起きよう」「よし仕事に行こう」という表現になります。
それに対して、「やらなきゃ」「やるべきだ」「こうあってはならない」という言葉が浮かんでくる時は「義務」でやっています。
例えば、私は、子育てにおいて、親は子どもを守ってあげなければならない。と思っていました。
無意識は、普段のなにげないつぶやきにも反応します。
しかし、こういう自分であるべき、このようにしなければならない、こうあってはならないという基準は、誰が決めたのでしょうか?
自己決定、自分で決めた時は、こうあるべき、こうあってはならないという基準は出てこないはずです。
こうあるべき、こうあってはならないと表現されるのは、他社基準になり自分決定権がない証拠です。
私の場合、ちゃんと育てないと親から、何か言われる。と思っていたことが、「でなければならない」になっていたのだと思います。
なぜ、子育てに置いて、「やらなきゃ」「こうあるべき」そう思ってしまうのかは、大体は、親の影響が多いようです。
「朝起きなきゃ」と無意識につぶやくのは「義務」です。誰に言われて、起きなければいけないと思っているのでしょうか…
「仕事に行かなきゃ」「急がなきゃ」これも全て義務になります。見えない何かに振り回されていまないか、考えたいものです。
できれば、今日からは「起きよう」「仕事に行こう」「急ごう」と口癖を変えてみてください。不調が変わります。
血液検査データから栄養面で思考を変える講座9月開催予定です。
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