
最近、あるシェア会で「職場でサボる人が多くてつらい」という声がいくつもあがりました。
私もその話にうなずきながら、ふと思ったんです。
「サボる人がいる」ということは、私の中に“サボりたい私”がいるのかもしれないな…って。
実際、毎日がんばる中で「もう仕事したくない」「助けても報われない」なんて思ってたのに、
人を助けている時の自分が好きで、「役に立つ私」にしがみついていたことに気づかされました。
そのとき、不思議なことが起こりました。
頭痛がひどくなったんです。
頭痛に対して、「アドレナリン出たのかな?」と食事や休養で整えようとしても全然治らず…
ふと、職場で“サボる人”を見かけた瞬間に体の反応を感じてみたんです。
すると——その頭痛が、消えてしまいました。
治ったことのほうが不思議で、「え?なんで?」と自分でもびっくりして。
それからは、“体感”に意識を向ける実験の日々が始まりました。
サボる人が現れたら、今までは、イライラしていましたが、
感じていくうちにある記憶がふっと出てきたんです。
それは、子どもの頃の母との記憶。
私は母が大好きだった。たぶん…
でも、仕事や家事で忙しそうな母を、いつも遠くから見ていたのかなって。
「私が甘えちゃいけない」「我慢しよう」って、どこかで決めてたのかもしれない。
お姉ちゃんもわがまま言わないから、それが“普通の母子関係”だと思ってたけれど、
細胞の奥の奥では、「寂しい」がちゃんと残ってたんですね。
母の愛は確かにあったのに、「足りない」と思い込んでいた。
「実は、充分に愛されていたんだ」と気づいたとき、
人生の空気がまるごと変わったんです。
その直後、なんと、「サボる人」がいなくなったんです(笑)
退職されました。
しかも、お金の流れがよくなって、不安感がほとんどなくなってきました。
日々の中で多幸感に満たされて、「このままでいい」って感じる瞬間が増えてきて。
もちろん、これからもネガティブなことは起こると思います。
でも、私はもう大丈夫。
身体の反応を消せばいいということがわかったから。
自分の身体の反応を信じて、感じきっていけば、
ちゃんと抜けられるって、自分を信じられるようになりました。
「サボる人が教えてくれた、私の奥底の“本音”。」
あの人も、この感情も、
実は全部“ギフト”だったのかもしれません。
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